
2009年02月11日
続・究極のファン。
昨日の続きです。
その後ジャンボうどん高木で働くようになり、うどん屋にもあまり行かなくなりました。
ジャンボうどんで働きだした理由も「うどん屋をしたい」って気があったわけではありませんでした。
ただ、何となくです・・・。
で、うどんに携わっていっているうちに「うどん屋をしたい」・・・と。
・・・で、「自分でするなら宮武うどんのスタイルだな」・・・と。
そこから色々と勉強が始まりました。
宮武の大将に色々と教えてもらったりして・・・。
友達の行っていたかな泉、山下うどん・・・色々なうどん屋の作り方を聞いたり、読んだりして調べました。
それで、行き着いたところが一つ。
「純手打 包丁切り 緑あひる」によるうどん。
宮武の大将曰く「もうそろそろやめるわ~山下君頼んだぞ~」
多分、適当に言ったとは思いますが、
勝手に「俺がやらねば!」的なモードになったのは確かです。
そら、宮武のおっちゃんももうやめるやろうな~。
「宮武のうどんが食べれなくなるな・・・ほんだら自分でしたらええんや!」
それが“よしや”の始まりです。
ある意味“究極のファン”な感じは無いでしょうか?
プロジェクトが進行して、色々とやっていくうちに丸々宮武では無くなったのは確かです。
(たすく氏の働いていた)山下うどん、ジャンボうどんその他諸々・・・。
いい所を取り入れ、うどんファンの作った店・・・そんな感じになりました。
ベースにはどっしりと「純手打 包丁切り 緑あひる」がありますが。
ただ、私たちはただの“うどん喰らい”。
ちょっと他の方たちと違った観点で見ているのかも知れません。
サイドメニューも食べませんでしたから・・・。
うどんの後味だけで帰りの車の中で語りだす・・・それが楽しかったです。
それを丸々“よしや”に反映するのは無理です。
ただ、うどんだけは毎日毎日自分の納得するものが出来ていると思います。
お料理上手なママさんも加わり、天ぷら、おでん、コロッケと納得のいくラインナップで開店する事が出来ました。
まだまだ発展途上な店ではありますが、これからも皆さん宜しくお願いします。
“一”うどんファンとして、“一”うどん屋として・・・。
その後ジャンボうどん高木で働くようになり、うどん屋にもあまり行かなくなりました。
ジャンボうどんで働きだした理由も「うどん屋をしたい」って気があったわけではありませんでした。
ただ、何となくです・・・。
で、うどんに携わっていっているうちに「うどん屋をしたい」・・・と。
・・・で、「自分でするなら宮武うどんのスタイルだな」・・・と。
そこから色々と勉強が始まりました。
宮武の大将に色々と教えてもらったりして・・・。
友達の行っていたかな泉、山下うどん・・・色々なうどん屋の作り方を聞いたり、読んだりして調べました。
それで、行き着いたところが一つ。
「純手打 包丁切り 緑あひる」によるうどん。
宮武の大将曰く「もうそろそろやめるわ~山下君頼んだぞ~」
多分、適当に言ったとは思いますが、
勝手に「俺がやらねば!」的なモードになったのは確かです。
そら、宮武のおっちゃんももうやめるやろうな~。
「宮武のうどんが食べれなくなるな・・・ほんだら自分でしたらええんや!」
それが“よしや”の始まりです。
ある意味“究極のファン”な感じは無いでしょうか?
プロジェクトが進行して、色々とやっていくうちに丸々宮武では無くなったのは確かです。
(たすく氏の働いていた)山下うどん、ジャンボうどんその他諸々・・・。
いい所を取り入れ、うどんファンの作った店・・・そんな感じになりました。
ベースにはどっしりと「純手打 包丁切り 緑あひる」がありますが。
ただ、私たちはただの“うどん喰らい”。
ちょっと他の方たちと違った観点で見ているのかも知れません。
サイドメニューも食べませんでしたから・・・。
うどんの後味だけで帰りの車の中で語りだす・・・それが楽しかったです。
それを丸々“よしや”に反映するのは無理です。
ただ、うどんだけは毎日毎日自分の納得するものが出来ていると思います。
お料理上手なママさんも加わり、天ぷら、おでん、コロッケと納得のいくラインナップで開店する事が出来ました。
まだまだ発展途上な店ではありますが、これからも皆さん宜しくお願いします。
“一”うどんファンとして、“一”うどん屋として・・・。